第二次世界大戦でフィリピンの英雄となった日本軍将校
- SIDE-B FILM staff

- 1 日前
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第二次世界大戦でフィリピンの英雄となった日本軍将校
フィリピン レイテ島ドゥラグ(Dulag)の人々は、日本占領時代に日本軍の大尉であった山添 勲(やまぞえ いさお)のために祠(ほこら)を建立した。
山添は、自治体の責任者の中で、フィリピン人に対して善意を持って接した唯一の日本人大尉だった。彼は自らが統治している間、学校を閉鎖させることはなく、部下がフィリピン人を侮辱するたびに厳しく叱責した。また、町の若者たちが一斉に歌う合唱を、嬉しそうに眺めていたという。
ある日、ゲリラから「日本軍がドゥラグを撤退しなければ町を攻撃する」という知らせが届いた。山添は町への攻撃を思いとどまるよう懇願し、町から離れた場所で会って話し合おうと伝えた。彼は、戦闘によって住民が巻き添えになることを何よりも恐れていた。
しかし、合意された場所へ向かう途中で、日本兵たちはゲリラの待ち伏せに遭い、山添大尉もろとも殺害されてしまった。
数日後、ゲリラが町へ降りてくると、彼らは泣き崩れるドゥラグの住民たちを目の当たりにして驚いた。住民たちは、「なぜ唯一の善良な指導者を殺したのか」と泣きながら問い詰めた。町全体は深い悲しみに包まれ、教会の鐘は何度も鳴らされ、人々が偉大な人物とみなしていた彼の死を悼んだ。
ゲリラたちは自らの行為を悔い、新たな日本人指揮官が来ると知って再び山へ戻った。その後に着任した日本人指導者は残忍で、ドゥラグの町に激しい恐怖をもたらした。
やがて、アメリカ軍の支援によってレイテは奪還され、約4年間に及んだ、日本軍占領下の「神なき暗黒の時代」と形容された苦難を経て、フィリピンは解放された。
しかし、ドゥラグの人々は決して山添 勲のことを忘れない
それが、彼の善良な心と、レイテ州ドゥラグのフィリピン人への深い思いやりを称え、祠を建てて顕彰した理由である。


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