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2025年は戦後80年目です。太平洋戦争は1945年8月15日に終結しました

執筆者の写真: SIDE-B FILM staffSIDE-B FILM staff

以前にカメラマンで携わった番組を見返してみました


2019.08.14に放送された テレビ東京「未来世紀ジパング ~私は日本人です…戦争の“忘れ形見”フィリピン残留孤児~」


未来世紀ジパング

この番組のカメラを回して、とても考えさせられた番組


" フィリピンと日本との繋がり "



2025年は戦後80年目です


ここフィリピンは平和を手に入れたのか


戦後のフィリピンと独立


フィリピンは、戦争終結から約1年後の1946年7月4日にアメリカから独立を果たしました。しかし、戦争によるインフラの崩壊、経済の混乱、社会不安は続きました。マニラは世界で最も破壊された都市の一つとなり、約10万人の民間人が犠牲となるなど、甚大な被害を受けました。


戦後の内戦と武力衝突


戦後のフィリピンは必ずしも平和ではなく、以下のような武力衝突が続きました。


1. フクバラハップ(Hukbalahap)反乱(1946-1954年)

• 日本軍に抵抗した共産主義ゲリラ組織「フクバラハップ」が、戦後も政府と対立。米比政府は武力で鎮圧しました。


2. ミンダナオ紛争(1960年代~現在)

• イスラム系武装組織(MNLF、MILF、アブ・サヤフなど)と政府の衝突が続きました。現在もミンダナオでは不安定な地域が残っています。


3. 共産主義反乱(1969年~現在)

• フィリピン共産党(CPP)の軍事部門である新人民軍(NPA)は、長年にわたり政府と武力衝突を繰り返しています。


現代フィリピンの平和状況


戦後80年が経過した2025年のフィリピンは、戦争直後と比べれば安定しています。しかし、

政治的な対立(汚職や選挙不正)

経済格差(貧富の差の拡大)

武装勢力の残存(特にミンダナオ地域)

などの問題が残っています。


未来世紀ジパング

フィリピンの日本人残留孤児について


太平洋戦争が終結した1945年、フィリピンには多くの日本人残留孤児がいました。これは、日本人の父とフィリピン人の母を持つ子供たちが、戦争の混乱の中で家族と離散し、日本に戻ることができずに取り残されたケースです。日本の中国残留孤児ほど知られていませんが、フィリピンにも同様の歴史がありました。


1. なぜフィリピンに日本人孤児が生まれたのか?


フィリピンの日本人残留孤児の背景には、戦前の日本人移民と戦争が関係しています。


(1) 戦前の日本人移民

• 1900年代初頭から、日本人はフィリピンに移住していました。

• 主な職業は麻産業、農業、漁業、商業、道路建設など。

• ダバオ地方(ミンダナオ島)は特に日本人移民が多く、「リトル東京」とも呼ばれていました。

• 日本人男性とフィリピン人女性の間に多くの日比混血児(ジャパニーズ・ミスキーズ)が生まれました。


(2) 太平洋戦争と戦後の混乱


• 1941年、日本軍がフィリピンを占領。


• 日本軍とフィリピン人ゲリラ、米軍との戦闘が激化。


• 1945年、日本が敗戦すると、多くの日本人は戦争犯罪者として追われるか、フィリピンで命を落とす


日本人の父親が死亡し、フィリピン人の母親とともに取り残された子供たちが多数発生。


反日感情が強まり、日比混血児たちは差別や迫害を受ける。

• 孤児となった子供たちは、身元を隠しながら生き延びるしかなかった。



2. 残留孤児たちの苦難


(1) 身分を隠して生きる


• 日本人の血を引くことが知られると、戦後の反日感情の中で迫害の対象になった。


• 多くの子供たちは、日本人であることを隠し、フィリピン人として生きた。


• 名前をスペイン系やフィリピン系のものに変え、日本語を話さなくなった。


(2) 貧困と差別


• 戦後、日本政府は中国残留孤児に支援を行ったが、フィリピン残留孤児は長年見過ごされていた


• 1970年代まで、日本政府は「フィリピンに残留孤児はいない」との立場を取っていた。


• 孤児たちの多くは教育の機会を失い、貧困層として暮らした。



3. 救済活動と日本への帰国


(1) 1980年代以降の動き


• 1980年代になり、日本政府がフィリピン残留孤児の実態を調査。


1990年代から一部の孤児が日本国籍を回復し、日本に移住する動きが始まる。


• しかし、日本に戻っても言葉の壁や文化の違いに苦しんだ。


(2) フィリピン日系人会の活動


フィリピン日系人会連合会(PNJK, Philippine Nikkei Jin Kai)が、残留孤児や日系人の支援を行う。


• 日本国籍の回復や教育支援を提供。


• 近年では、日本とフィリピンの両国政府の協力で、日系人のルーツ探しが進められている。



4. 現在の状況


(1) 日本国籍の回復と移住


• 2000年代以降、日本国籍の回復手続きが進み、多くのフィリピン日系人が日本へ移住。


• 特に介護や技能実習制度を利用して、日本で働く日系人も増えている。


(2) 日比関係の改善と文化交流


• 戦後80年を迎える2025年、日比関係は友好ムードに。


• 残留孤児の歴史を記憶し、次世代へ伝える活動が続く。


• ルーツを探し、日本とフィリピンの架け橋となる日系人も増えている。



5. まとめ:フィリピン残留孤児の歴史と意義


フィリピン残留孤児の歴史は、戦争がもたらした苦しみと、その後の困難な道のりを象徴するものです。 彼らの存在は、戦後の国際関係や日本の戦争責任の問題とも深く結びついています。


現在、日比両国は良好な関係を築いており、残留孤児や日系人への支援も進んでいます。しかし、彼らが直面した困難や、今も続く課題を忘れず、歴史を学び続けることが重要です。



フィリピンは戦後に「戦争の終結」を迎えましたが、「完全な平和」にはまだ道のりがあるといえるでしょう。それでも、和平交渉や経済成長を通じて、より平和な国へと歩みを進めています


未来世紀ジパングはもうすでに終了してしまいましたが、ぜひまたこのような素晴らしい

番組制作に携われる日を楽しみにしています


動画はこちらから視聴できます




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